国産旅客機「MRJ」の前身「YS-11」フライトの懐かしい思い出

国産の旅客機である「MRJ」が、話題になっていますね。
最近も、MRJの飛行試験機5機のうち、ANAの塗装をした5号機が2017年年明けに初飛行となるとニュースが流れたりしましたね。試験の実施によっては、年内に初飛行の可能性もあるそうです。
そんなMRJですが、前身となる初の国産旅客機が「YS-11(ワイエスイチイチ)」です。
初の国産旅客機YS-11(ワイエスイチイチ)とは?
YS-11は、日本国内線で利用することを目的に設計され、1962年8月30日に初飛行しました。
1964年の東京オリンピックの際には、聖火を日本全国に空輸した飛行機です。
その後6年後には、赤字のために生産中止が決定してしまいます。
国内の航空会社では2006年で飛行は終了してしまいましたが、その後も自衛隊などで愛されてきました。
50年近く日本の空を飛び回った初の国産旅客機「YS-11」
今回は、実際に乗って忘れられない思い出になったというWさんのお話が聞けましたのでご紹介しましょう。
YS-11というプロペラ機が飛んでいた、かなり昔のお話
出雲大社へ行くために、大阪から出雲空港まで飛行機に乗りました。
飛行機には、羽根に2つ大きなプロペラと、前に1つ小さなプロペラがついています。
チェックイン時から、手荷物の重さをはかり、体重を聞いていました。
機内には、電車の荷物棚のような棚があるだけで、手荷物のコンパートメントはありません。
スチュワーデス(現在のキャビンアテンダント)さん達がいうには、揺れると荷物が降ってくるから、背広やコートくらいにしておいてください、とのこと。
手荷物は、前の座席の下に押し込むしかないようでした。
機内の一番後ろに、スチュワーデスさん達の席があります。
スチュワーデスさんは2人。乗客の席は17人分しかありません。
私の席は、ちょうど翼の少し後ろで、窓の外を見ると、プロペラが回っているのが良く見えました。私がなぜ、こんなに鮮明に昔のことを覚えているかというと、着陸が忘れられない経験だったからです。
ジャンボジェットやエアバス機とは違う揺れ
宍道湖の上空から、出雲空港へアプローチし始めると、機体が風の影響で、ぐるんぐるんと、洗濯機のように、回りました。
ジャンボジェットやエアバス機の揺れとは、まったく違うのです。
ガタガタゆれたり、ヒュ~っとジェットコースターに乗った時のように、お尻が浮き上がるような揺れではなく、風の渦に巻き込まれているかのように揺さぶられる。
進行方向に向かって、左円を描きながら、グルグル回る・・そんな感じでした。
怖い!!というよりは、飛行機が頑張ってる、頑張れ、頑張れと一緒に応援したくなるそんな着陸でした。
宍道湖を超え、滑走路上空に滑り込み、スムーズな着地。
乗客からも、拍手が沸き上がりました。
のちに、教えてもらいました。
宍道湖上空は風がまきやすいこと。
プロペラ機はワイヤーで操作するので、羽根のフラップを動かすのも、パイロットが全体重をかけて、引っ張ったり、風と戦ったりしているということ。
そして、風と真正面から戦うと、機体が負けるので、風に乗り、風の力を逃がしながら、高度を下げていくこと。
根っからの「飛行機野郎」と呼ばれるパイロット達は、この飛行機が好きで好きでたまらないので、ジャンボへの昇進試験を受けずに、YS-11に乗り続けているということ。
そんな話を聞いてから、ますます忘れられないフライトとなりました。